【胸が熱くなるワードセンス】なぜ北斗昌はあそこまでブレイクできたのか? #プロレス #格闘技 #RIZIN #アントニオ猪木 #佐々木健介  #北斗晶

【胸が熱くなるワードセンス】なぜ北斗昌はあそこまでブレイクできたのか? #プロレス #格闘技 #RIZIN    #アントニオ猪木 #佐々木健介  #北斗晶

元プロレスラーの佐々木健介の「鬼嫁」として、テレビのワイドショーやバラエティーで活躍している北斗晶。
ちょっと口は悪いが気のいいおばちゃんとして多くの視聴者から親しまれている北斗だが、以前は今の姿からは想像もできないようなコスチュームとメイク、鬼気迫るファイトスタイルで「デンジャラス・クイーン」と呼ばれていた。

1967年に埼玉県に生まれた北斗晶が、プロレスに出会ったのは子供の頃。
プロレス好きの曽祖母と一緒にテレビで観戦するうちにプロレス好きになり、当時女子プロレス界で絶大な人気を誇った、ジャッキー佐藤とマキ上田のタッグ「ビューティ・ペア」のファンになったという。

そして高校生となった北斗は、同じくプロレス好きの友人と休みの日に代官山に遊びに行き、その流れで新日本プロレスの道場を訪れることになった。
練習終わりの若手レスラーのサインを貰おうと思ってしばらく道場の外で待っていると、ひとりのレスラーが出てきて北斗にこう声をかけた。
「きみ、いい身体してるね!プロレスラーになれるんじゃない?」
その言葉に背中を押されるように全日本女子プロレス入門テストを受けた北斗は、見事に合格する。

当時は長与千種とライオネス飛鳥の「クラッシュギャルズ」が一世を風靡していた時期で、女子プロレスの人気はすさまじいものだった。史上最多の3万5千人もの応募があり、その中で合格したのは北斗を含めてわずか10人という狭き門であった。
親の反対を押し切って北斗は高校を中退し、女子プロレスの世界に飛び込んだ。

そして1985年に本名の「宇野久子」のリングネームで女子プロレスラーとしてデビュー。入門前からヒールに憧れていた北斗だったが、会社からは「お前はタレ目だからヒールに向かない」と言われてしまい、不本意ながらベビーフェイスとしてデビューすることになった。

全国各地を巡業し、年間300試合ほどをこなすかたわら、先輩レスラーの付き人として寝る間も惜しんで働くという厳しい下積みを経験した北斗は、デビュー翌年の1986年に全日本ジュニアチャンピオンを獲得する。
1987年には堀田祐美子とのタッグで「WWWA世界タッグチャンピオン」の座につくなど、北斗はスターへの階段を駆け上がっていた。

#プロレス #格闘技 #RIZIN #アントニオ猪木 #佐々木健介  #北斗晶

rizinカテゴリの最新記事