1994年2月15日、新横浜のホテルで、UWFインターナショナルが開催する、「プロレスリングワールドトーナメント」の記者会見が開かれた。
記者会見には、UWFインターの、フロント代表であった鈴木健氏が出席。なぜか鈴木氏の両隣には警備会社の人間が目を光らせているという物々しさだ。
警備員を従えての会見にはワケがあった。大きなジェラルミンのケースを会見のテーブルに置いた鈴木氏は、ケースを開くと、中から札束を取り出し、重ね始めたのだ。なんと、総額1億円。鈴木氏が両隣に警備員をつけたワケがこれだった。
当時、週刊プロレスの表紙を飾ったキャッチコピーが『夢と一億円』。確かに現金1億円が並べられた光景は、なかなかお目にかかれない。だが、あくまでもこの大金は“脇役”であった。
1億円以上に衝撃的だったのが、鈴木氏が取り出した5通の封書。
会見の“主役”は、日本の主要プロレス団体のトップレスラー5人に対する、このトーナメントへの「内容証明付き挑戦状」だった。
まず、全日本プロレス、三冠ヘビー級王者、三沢光晴と、新日本プロレス、IWGPヘビー級王者、橋本真也の2大メジャー団体のチャンピオン。そして“ミスタープロレス”と呼ばれるWARの天龍源一郎に、かつてUインターの同志であったリングスの前田日明、パンクラスの船木誠勝だった。
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